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     「あれは本校の生徒です」
     
     
     「生徒たるべきものが、何で他(ひと)の邸内へ侵入するのですか」
     
     
     「いやボールがつい飛んだものですから」
     
     
     「なぜ断って、取りに来ないのですか」
     
     
     「これから善(よ)く注意します」
     
     
     「そんなら、よろしい」
     
     
     竜騰虎闘(りゅうとうことう)の壮観があるだろうと予期した交渉はかくのごとく散文的なる談判をもって無事に迅速に結了した。主人の壮(さか)んなるはただ意気込みだけである。いざとなると、いつでもこれでおしまいだ。あたかも吾輩が虎の夢から急に猫に返ったような観がある。吾輩の小事件と云うのは即(すなわ)ちこれである。小事件を記述したあとには、順序として是非大事件を話さなければならん。
     
     
     主人は座敷の障子を開いて腹這(はらばい)になって、何か思案している。恐らく敵に対して防禦策(ぼうぎょさく)を講じているのだろう。落雲館は授業中と見えて、運動場は存外静かである。ただ校舎の一室で、倫理の講義をしているのが手に取るように聞える。朗々たる音声でなかなかうまく述べ立てているのを聴くと、全く昨日(きのう)敵中から出馬して談判の衝(しょう)に当った将軍である。
     
     
     「……で公徳と云うものは大切な事で、あちらへ行って見ると、仏蘭西(フランス)でも独逸(ドイツ)でも英吉利(イギリス)でも、どこへ行っても、この公徳の行われておらん国はない。またどんな下等な者でもこの公徳を重んぜぬ者はない。悲しいかな、我が日本に在(あ)っては、未(ま)だこの点において外国と拮抗(きっこう)する事が出来んのである。で公徳と申すと何か新しく外国から輸入して来たように考える諸君もあるかも知れんが、そう思うのは大(だい)なる誤りで、昔人(せきじん)も夫子(ふうし)の道一(みちいつ)以(もっ)て之(これ)を貫(つらぬ)く、忠恕(ちゅうじょ)のみ矣(い)と云われた事がある。この恕(じょ)と申すのが取りも直さず公徳の出所(しゅっしょ)である。私も人間であるから時には大きな声をして歌などうたって見たくなる事がある。しかし私が勉強している時に隣室のものなどが放歌するのを聴くと、どうしても書物の読めぬのが私の性分である。であるからして自分が唐詩選(とうしせん)でも高声(こうせい)に吟じたら気分が晴々(せいせい)してよかろうと思う時ですら、もし自分のように迷惑がる人が隣家に住んでおって、知らず知らずその人の邪魔をするような事があってはすまんと思うて、そう云う時はいつでも控(ひか)えるのである。こう云う訳だから諸君もなるべく公徳を守って、いやしくも人の妨害になると思う事は決してやってはならんのである。……」
     
     
     主人は耳を傾けて、この講話を謹聴していたが、ここに至ってにやりと笑った。ちょっとこのにやりの意味を説明する必要がある。皮肉家がこれをよんだらこのにやりの裏(うち)には冷評的分子が交っていると思うだろう。しかし主人は決して、そんな人の悪い男ではない。悪いと云うよりそんなに智慧(ちえ)の発達した男ではない。主人はなぜ笑ったかと云うと全く嬉しくって笑ったのである。倫理の教師たる者がかように痛切なる訓戒を与えるからはこの後(のち)は永久ダムダム弾の乱射を免(まぬ)がれるに相違ない。当分のうち頭も禿げずにすむ、逆上は一時に直らんでも時機さえくれば漸次(ぜんじ)回復するだろう、濡(ぬ)れ手拭(てぬぐい)を頂いて、炬燵(こたつ)にあたらなくとも、樹下石上を宿(やど)としなくとも大丈夫だろうと鑑定したから、にやにやと笑ったのである。借金は必ず返す者と二十世紀の今日(こんにち)にもやはり正直に考えるほどの主人がこの講話を真面目に聞くのは当然であろう。
     
     
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