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     「たしか暮の二十七日と記憶しているがね。例の東風(とうふう)から参堂の上是非文芸上の御高話を伺いたいから御在宿を願うと云う先(さ)き触(ぶ)れがあったので、朝から心待ちに待っていると先生なかなか来ないやね。昼飯を食ってストーブの前でバリー·ペーンの滑稽物(こっけいもの)を読んでいるところへ静岡の母から手紙が来たから見ると、年寄だけにいつまでも僕を小供のように思ってね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいいがストーブを焚(た)いて室(へや)を煖(あたた)かにしてやらないと風邪(かぜ)を引くとかいろいろの注意があるのさ。なるほど親はありがたいものだ、他人ではとてもこうはいかないと、呑気(のんき)な僕もその時だけは大(おおい)に感動した。それにつけても、こんなにのらくらしていては勿体(もったい)ない。何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きているうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいと云う気になった。それからなお読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。露西亜(ロシア)と戦争が始まって若い人達は大変な辛苦(しんく)をして御国(みくに)のために働らいているのに節季師走(せっきしわす)でもお正月のように気楽に遊んでいると書いてある。――僕はこれでも母の思ってるように遊んじゃいないやね――そのあとへ以(もっ)て来て、僕の小学校時代の朋友(ほうゆう)で今度の戦争に出て死んだり負傷したものの名前が列挙してあるのさ。その名前を一々読んだ時には何だか世の中が味気(あじき)なくなって人間もつまらないと云う気が起ったよ。一番仕舞(しまい)にね。私(わた)しも取る年に候えば初春(はつはる)の御雑煮(おぞうに)を祝い候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、なおのこと気がくさくさしてしまって早く東風(とうふう)が来れば好いと思ったが、先生どうしても来ない。そのうちとうとう晩飯になったから、母へ返事でも書こうと思ってちょいと十二三行かいた。母の手紙は六尺以上もあるのだが僕にはとてもそんな芸は出来んから、いつでも十行内外で御免蒙(こうむ)る事に極(き)めてあるのさ。すると一日動かずにおったものだから、胃の具合が妙で苦しい。東風が来たら待たせておけと云う気になって、郵便を入れながら散歩に出掛けたと思い給え。いつになく富士見町の方へは足が向かないで土手(どて)三番町(さんばんちょう)の方へ我れ知らず出てしまった。ちょうどその晩は少し曇って、から風が御濠(おほり)の向(むこ)うから吹き付ける、非常に寒い。神楽坂(かぐらざか)の方から汽車がヒューと鳴って土手下を通り過ぎる。大変淋(さみ)しい感じがする。暮、戦死、老衰、無常迅速などと云う奴が頭の中をぐるぐる馳(か)け廻(めぐ)る。よく人が首を縊(くく)ると云うがこんな時にふと誘われて死ぬ気になるのじゃないかと思い出す。ちょいと首を上げて土手の上を見ると、いつの間(ま)にか例の松の真下(ました)に来ているのさ」
     
     
     「例の松た、何だい」と主人が断句(だんく)を投げ入れる。
     
     
     「首懸(くびかけ)の松さ」と迷亭は領(えり)を縮める。
     
     
     「首懸の松は鴻(こう)の台(だい)でしょう」寒月が波紋(はもん)をひろげる。
     
     
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